プロフィールをお届けいたします♪

みなさんこんにちは、今更ですが私 Hair&Make OPSIS代表 山田亮太の徹底大解剖を御送り致します

 

1970年 埼玉県川越市で生まれました。

 

思い起こせば、あれは吹き出る様な汗の出る真夏・・・・。

 

8月の18日だったと思います。

 

出生当時の記憶は、今ではもうほとんど残っていませんので(笑)

 

少し、歩行器で自立歩行の真似事が出来る様になった頃の画像です・・・

 

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たぶんカラー写真もあった時代だったはずなのですが・・・。

 

当時の山田家では、モノクロ写真に徹するというポリシーがあったようです・・・。

 

もともと理髪店であった実家でしたが、父の時代に川越ではまだ数件しかない美容室に業態を変更しました。

 

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左のおかっぱ頭に前歯の抜けた、典型的な昔のクソ坊っちゃまが僕です(笑

 

右端が当時の父です・・・ 時代を感じますね・・・。

 

真ん中の82番は、1つ年下の母方の従弟なんですが彼も現在都内数店舗で美容室を経営している美容師です

 

所謂『美容一家』に生まれたということです。

 

 

ですから、幼少の頃から何の迷いも無く「自分は将来、パーマ屋さんをやるんだ」と思っていました。

 

昔の美容室は主流はレザーカットからV.S(ヴィダル・サッスーン)のブラントカットというハサミを使ったSTYLEに以降されてきた時代でした。

 

ですから、僕の当時のヘアースタイルも練習を兼ねて?(笑)なのか、パッツン系のもろジオメトリック(幾何学的)造形のSTYLEばかりでした・・・

 

 

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ちなみに僕の髪はほぼ直毛です

 

この時期明らかにパーマデザインが世に求められていた時代だったのがワカリマス。

 

父の話では「お前には時代の最先端のSTYLEを常にしてやってた」ということでしたが・・・。明らかにただの実験モルモットだったはずです・・・。

 

みなさんお気づきかと思いますが、昔は今では考えられない程小柄でスリムなBOYでした

 

ですから、よく近所の悪ガキに虐められたりして泣かされてた記憶があります(笑)

 

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もう、何故こんなポーズをとったのか!?意味が分かりませんが、坊主頭なので中学校に入学するか、したか位の頃の川越祭りの日の写真ですね・・・(笑

 

 

僕はこの頃から視力が悪くなって眼鏡をかけてたんです。

 

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こんな丸めがねだった気がします・・・。

 

痩せっぽちで、丸めがねを僕のお祭り画像に重ねて見てください。

 

 

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そう・・・僕の中学校のあだ名は「ガンジー」でした(笑

 

いゃ〜今思えば、当時僕にあだ名をつけた奴(誰だったか忘れましたが)センス抜群だったと思います

 

 

ちょっと横道に反れてしまいましたね(笑

 

 

子供の頃から『ものを創る』という行為が大好きだったようで、美術などでは東京美術文化賞とか文部大臣賞とかそう言う名前の賞をよく頂いてた記憶があります。

 

音楽も好きで、小学校の鼓笛隊から始まり、中高の部活は吹奏楽部。

 

DSC_3062(画像はイメージです。)

 

専門はトランペットとホルンでした

 

ピアノも実は趣味で小学校から23歳くらいまでやってました。(今ではもう指が固まって何も出来ませんが!)

 

高校も2年目になってきますと遊び場が川越から渋谷・宇田川町界隈に完全に移り、大学に入学するころには六本木・西麻布界隈へと時代の流れ?とともに変わっていきました

 

この頃から実家の美容室でアルバイトといいますか、たまーに手伝いに出る様になりました。

 

ただ、どんなに遊んでいても毎月数回あるサロンの勉強会(僕と同い年のスタッフを対象とした)にだけは必ず出席するように言われていたので、それだけには出席していました。

 

大学へ入学と同時に美容学校も通信課程で入学し、大学在学中に国家資格を取得しました。

 

東京総合美容専門学校です。

当時の先生方懐かしいな・・・。今でも元気にしてるんだろうか・・・。

 

大学を出てからは、そのまま実家のサロンに勤務して下積みです。

 

僕の中では「先生の息子だから」というレッテルは昔から慣れっこでした。

 

うまく出来ても当たり前。うまく出来なかったら「先生の息子なのに」。知識だってあって当たり前。それは環境があったから?笑

 

当時僕は根性も曲がっていたので(笑)練習もみんなと一緒なんて、ほぼしませんでした。スタッフがみんな帰った後のサロンに一人で戻ったり、自分の部屋に秘密の練習台を作成してそれを使ったり・・・。仲間にも親にも自分が努力してる所を見せないで「ふん!こんな程度よゆーだぜ☆」って嘯いてみたかったんです。

 

だから当時の同期の誰よりも早く、今で言う「スタイリストデビュー」までの試験を全てクリアして、たまたまチャンスが巡ってきたのをいいことに外資系の美容関係の会社の仕事でニューヨークを中心に全米を点々と廻る仕事を20代半ばから始めました。

 

日本とアメリカを行ったり来たりしている間に、NYCや東コレのヘアーメイクの仕事を頂けるチャンスがあって自分はサロンワーカーとしてではなく、ヘアーメイクとして行きていくつもりでいた20代後半〜30代前半でした。

 

結果的には、実家のサロンの都合などもあり僕は32歳になる歳に川越に戻って来て父のサロンを継ぎました。

 

img_5270_Fotor_Fotor_Collage(画像はイメージです笑)

 

僕が体験した美容師としての一番の挫折の時期が、この帰国からの数年です。

 

当時は非常に生意気な美容師でした。

 

最新のファッションを然るべき経路で広告すれば、簡単にお客様が集まって、売り上げが上げられた時代でした。

 

集まったお客様に、デザインの押しつけをしていた時代でもあります。

 

キラキラした世界から、地元の美容室に戻って来て何か勘違いしていたんですね。

 

この時代の失敗が、僕の今のサロンワーカーとしての意識と美容室経営の基本理念を創ってくれたと思っています。

 

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お客様が安心して、楽しい時間を過ごしながらどんどん元気な自分を見いだしていただける場所としてHair&Make OPSISは存在し続けられる様に努力して行きたいともいます。

 

スタッフ教育に対して一貫していることは『人間力のある人作りと安心感を安定感を感じて頂く為の技術力』です。

 

オプシスのあるこの川越は全国でも指折りの「美容室密集地帯」です。

 

そんな中で、僕が他のサロンに決して負けないと思っているものは『オプシスのスタッフ達』です。

 

みんなどうやったらお客様に喜んでいただけるか!?毎日必死に考え・悩み・勉強し・修練しています。

 

もう、最後はプロフィールなのか何なのかよく判らない内容になってきてますが・・・笑

 

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彼らが、どんどん育っていって習得した技術をフルに利用して皆さんの笑顔を引き出せる事いつもイメージしながらサロンワークをしています。

 

 

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今よりももっと!!という向上心を常にもって、毎日頑張っているスタッフが支えてくれているおかげで最近では少しサロン以外の場所でお仕事させていただける時間もできてきました。

 

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これからもオプシスの仲間をどんどん増やしていって、もっともっと沢山のお客様の笑顔を引き出す事が出来る様になればいいなぁって思いながら一生懸命やっていきます。

 

 

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僕の将来の夢は、今のスタッフ達が皆それぞれの価値観でオプシスismを継承しそれぞれのサロンの責任者として川越を中心としたビューティーグループとして成功することです。

 

 

また、地域の他業種の方達と一緒になって この川越にファッションをキーワードにした『第3の祭り』を造り上げることです。

 

 

何だか毎日沢山考えることがあって・・・。

 

 

イメージがどんどん溢れて来て・・・。

 

 

沢山の出会いが会って・・・。

 

 

楽しくて仕方ありません!!!!!!

 

 

コレからも、僕とこのオプシスの仲間達のこと

 

どうぞよろしく御願い致します

 

 

 

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余談ですが・・・僕の29歳のころの写真です。

 

痩せますね・・・

 

 

 

カテゴリー: お知らせ, プライベート パーマリンク 投稿日: 作成者: 代表 山田 亮太